帰省

体調の優れなさ(主に咳と腰痛)と気力の無さがピークを迎え、例年より早く母の実家に帰省することにした。今は仕事をしていないから時間は無限にあるし、のんびり実家でくつろぐのは個人的に名案だった。

久しぶりに兄や従兄弟と再会。畳でゲームしたり広い食卓を囲って皆で食事をすると、小学生の頃に戻ったような気がしてしまう。あの時から随分大人になったな〜とふと思ったが、相変わらず無口な従兄弟とゲームが達人級に上手い兄を見ていると、なんも変わってないな とも思う。

従兄弟は2人兄弟で、兄の方は結婚し2人の子供がいる。従兄弟の兄はお盆になると家族で遊びに来ると、おのずと私が子供の相手をすることになる。東京で大人とばかり接している私は、普段の生活で子供と遊ぶ機会などほとんど無い。なので毎年接し方に戸惑っている。

子供は5歳の女の子と3歳の男の子。特に女の子はよくしゃべるし、なんとなくムードメーカー気質なところがあるようだ。「昔のあんたにそっくり」と母の姉に言われたが、確かに自分に重なる部分がある気もする。

ほとんどない幼少期の記憶を辿ると、母親に真剣に話しかけてみても「はいはい」と聞いてるんだか聞いてないんだかよくわからない返答ばかりだった。自分が話しかけても大人に適当にあしらわれることに、子供ながらに腹が立っていた。「大人になったら子供の話もちゃんと対等によく聞く大人になる!」と強く誓っていた。

しかし、大人になった今になるとわかる。子供は永遠に喋りまくるし、体力は底なしだ。彼らのペースに合わせているとどんどん疲れてくる。自己防衛のためにに適当にあしらわざるを得ない。気づけば女の子の問いかけを「はいはい」と受け流している自分がいる。。

帰省した瞬間に「結婚」や「出産」という言葉に出くわす機会が増える。それは独身の私にとって少し腰がひけることだ。幼児がいる家族と親世代の夫婦らといっぺんに接しているが、今のところどちらにも憧れることはできない。母は父と大喧嘩真っ最中だが、それでも「結婚はいいものよ」と言う。

都会では薄まりつつある(?)結婚という幸せの形や、性別役割分担の意識がここでは色濃く残っている。まだ5年しか生きていない子供がすでに色塗りの時に「女の子はピンクで男の子は青やで」と言っているのに面食らう。親や親戚には、会話の節々から私が将来誰かと結婚して子供を産むことを望まれているのを感じる。そんなことは気にする必要はないとわかっていても、脈々と受け継がれる(古来の)価値観が高い壁のような形で目の前に現れている気がした。そんな出来事に少し怯みつつもツイッターのTLをみて安心する、ということを繰り返す。ツイッター最高。

帰省したら心穏やかになり色々と作業が捗るかなと思っていたが意外とそんなことはなく、ただ思考停止している毎日のような気がしている。ただ食べて寝て遊んで散歩するを繰り返し、、これでいいのかと思いつつも、ここまで堕落できるのは今だけかもしれないと思うので徹底的にダラダラしようと思う。